幸福実現のエネルギーの変化

最近、日本のジレンマなどでもテーマとされていますが、

 
幸福論
 
これって人にとって一番大切なテーマなのかも知れませんね。
政治も経済も何から何まであらゆる学問は人間の幸福を追求するうえで活用される物に過ぎないのかも知れません。
 
この幸福論ですが、幸福とは何か。誰の幸福か。って話になると思うんです。
 
例えば、4,5,60代の方達にとって、
経済成長=幸福実現
になっていたから、仕事に熱心に取り組めば給料は上がったしそれで幸福を実現出来た。
その感覚のある人は日本の経済成長を止めてはいけない。
今の若者は社会的上昇欲が足りないと言います。
確かに、今の若者の職業的な出世欲は低く彼らが奮起して仮に成長率が高度経済成長期に戻ったなら以前の幸福のロールモデルに乗る事は出来るでしょう。
 
しかし、どうにも経済を立て直すのは難しそうだぞって事になった若者達は新たな幸せの形を探し始めています。
 
国の繁栄=幸福と考えている人にとってはこれから語られる幸せは幸せではないと考えるかもしれませんが、
 
最近では、
 
ルームシェアでお金を節約しつつ人との関わりを楽しんだり、
デートや遊びにかけるお金が減っている。とも言われています。
そしてそれでも幸せだと。
 
それはつまり幸せの閾値が下がっているのだと多くの方が言っています。
 
確かに、閾値も下がっているのかもしれませんがそもそも閾値の持つ
 
その現象を引き起こすのに必要な最低のエネルギー
 
という意味から考えるにエネルギー量が下がったというよりも代替エネルギーを見つけつつある。という表現が適切なのかなって思います。
つまりお金というエネルギーに変わる新しい幸せの作り方を。
 
それは、個人レベルあるいは身の回りの範囲での幸せや繁栄であって国家はどうなる?と思う方もいると思います。
 
そこで議論が噛み合わなくなってくるのかなとテレビなどを見ていてよく思うのです。
 
幸福って難しいですよね、でも国ってそもそもは人々が幸福になるために集まった共同体ですよね?
より多くの収穫を得るために村を作り
侵略されない為に国を作り
そうやって少しづつ規模を大きくしていったのが今の形なら
 
新しい幸せのエネルギーを上手く循環させる新しい組織(国に代わる)の時代がやってくるのかもしれません。
 
国から浮遊し人々は自由に動き始める。
世界中の人々が新しい組織を作り始めて混ざり合う。
 
そんな事が次にやってくるのかもしれない。そうした時代への過渡期が今なら、世代間の感覚の違いは自然な事なのだと思います。