止まる事の出来ない意識高い系という病

「意識高い系」についての記事で思わぬヒットが生まれました!

それが良い事か悪い事かについては、
 
意識高い系について思う事。 - kazusq's diary
 
に書いたとおりのスタンスを僕は持っているのですが、
それとは別の方面から何故、意識高い系が意識高い系でいるのかという事について考察します。
 
そもそも意識高い系とは他人から揶揄される言葉でしかないので、誰がそれに分類されるか
という事は議論しても仕方ないと思うので抽象的な範囲として「彼ら」と呼ばせていただきます。
僕が思うに彼らはマグロと同じなのではないかと。
つまり動きつづけていないと息が出来ないのではないかと。
 
僕はそうです。
 
立ち止まる事が難しい。立ち止まり省みる事は大切だと思うのですが、中々難しいのです。
もちろん、一つ一つの物事に対してフィードバックはするし次に活かす努力はしています。
 
でも大局的に見ると、動き続け傷つきながら力をつけていく(あるいは、その気になっている)というのが基本的なスタンスです。
 
そういう人が増えている事、それは社会の不安定性を如実に表していると思うしだからこそ自分自身で「何者感」を感じながらも立ち止まる事が出来ないんだと思うんです。
 
僕の周りの本当に尊敬出来る方々は意識の高さを嘲笑する前に、その勢いばかりの高さをどうやって正しい方向に導くかを考えているように思います。
前回も書きましたが、嘲笑してる人は所詮その程度なのかと。
 
馬鹿にするのも結構ですが、結局その不安から生まれるエネルギーをどうやって日本の活力に還元するか。
それを考えないと国の中で貶め合い足を引っぱりあう、そんな泥沼の世の中になると思いませんか??
 
笑う事は簡単だけど正しい方向に導きエネルギーを制御し正しく爆発させる事の出来る人こそが不安が顕在化した今の世の中で成功出来るのだと思います。
 
僕自身もそうやって他人のエネルギーを巻き込みながら成長し、物事を動かせる人になりたいなって思います。