ボランティアは偽善なのか

東北を襲った大震災をキッカケに、ボランティアなどをする人や興味を持つ人、それから募金などをする人が増えたと思う。
 
しかし、
 
人の為に何かをすれば「偽善」と嘲笑され
人を見捨てれば「冷酷」と罵られる
 
なんと酷い世の中だろうか?
 
僕自身は恥ずかしながら、殆どと言っていいほどにボランティアをした経験は無いし、募金に関して言えば一度としてない。
 
これは、僕がケチであるという事の他にも2つの理由がある。
 

僕が募金をしない2つの理由

 
1つめはカンボジアで見た募金資金のいく先について。
2つめは僕が僕自身の身を削って稼いだお金で生活をしていない事。
 
 
1について詳しく話すと、カンボジアに旅行した時に地雷除去中の標識と警戒線を見た。
それを初めて見た時
「この危険な地雷を除去する為に裕福な国の人は募金すべきだ」
と感じた。
 
しかし、その後の昼食の時間に思わぬ物を目にした。それは地雷除去団体の為の豪邸と地域に似つかわしくない舗装された道路、そしてそこを快走する高級車である。
 
その時、ガイドに言われたのが世界中から集まる募金の殆どはそれらの地雷御殿に使われているという事だ。
もちろん、団体によって程度の差はあるだろうし地雷除去だってやっていない訳ではない。
それでも、僕にとってそれは小さくない衝撃だった。
 
 
2についてはそのままの意味で、両親が身を粉にして稼いだお金を必要な分だけ与えられている身として、そのお金は基本的に自分自身の為に使おうと思っていて
もし仮に持て余すのであれば貯金、あるいは返すべきだと思う。
返金してそれを親なりが募金すれば良い、少なくとも僕自身の名前で僕自身の裁量で行う事ではない。と小さい頃から漠然と考えていた。
もちろん、貰ったお金を他人の為に使うという選択肢もまた勉強かもしれないが、それ以前に学ぶべきものが多いような気がしてしまうのだ。
そして本当に他人の為に何かをして学びたいのであれば募金という形以外で何か出来るのではないだろうか?と考える。
 
そこで出てくるのがボランティアである。
 

ボランティアは偽善なのか

 
ボランティアには確かに偽善的な側面はあるだろう。
それは偽善であるという理由を並べあげられた時に一つ一つに正確に反論する事は出来ないだろうという事です。
 
そもそも偽善がイメージで語られているのも議論を複雑にする要員であるので、Wikipediaさんの偽善の項を引用すると
偽善とは、善良であると偽ることをいう。また、これを行う者は偽善者とよばれる。外面的には善い行為に見えても、それが本心や良心からではなく、虚栄心や利己心などから行われる事を指している。
 
という事らしい。
つまり、これは「行為者の本心がどうであるか」によって判断されるものであり、
偽善を受ける者の心理は加味されないようである。
 
つまり、この定義における偽善とは仮にボランティアをした結果とても喜ばれたとしても、その行為が虚栄心によるものであれば偽善という事になる。
 
と、いう事はそもそも他人からどうこうと言われる事自体がおかしいように思う。
と、同時に全く虚栄心や利己心を持たずに…という事もないように思われるし
結局の所、他人にとやかく言われる事ではないが全く偽善でないという事も中々難しいように思う。
 

そもそも偽善は悪いのか

そこで僕が思うのは、そもそも偽善は悪いのかという事である。
字ズラ上なんだか悪い事のように思われるが、偽善の「偽」は自分の心に起因して「善」は相手の得るものに起因するのであるから互いに独立しているのではないだろうか?
つまり、
恩恵を受ける側にとってのポイントは善を受けとる事にあり
与える側にとってのポイントはその理由に関わらず善を与える事にあるのだと思う。
 
周りが取り立てて何かを言う。それは的外れな事であるし気にしても仕方ないのだと思う。
 
 

それでも

それでも人間は他人にどう思われるかが気になって仕方のない生物である。それが社会生物としての人間を育てたとも言えるだろうし、変えようもない人間の人間たる所以なのかもしれない。
出来れば他人に批判される事なく活動したいと思う事は自然な事である。
が、それらの批判を受けてでも行動するあるいはそれらの批判など下世話な物として動じないそういう人こそが真に善良なるボランティアなのかもしれない。
 
そういう人が本当に尊敬されるべき善良なる人間なのだろう。
でも、僕は皆がそうなる必要はないと思う。
その様な偽善的な心を持たない人間でなくても、多少の虚栄心を持っていたとしても、それでもする事に意味はあると思うのです。
現地で何かを目の当たりにしたり、
新しい人と出会ったり、
そういう事をきっかけに心持ちみたいな物は徐々に変わるものだと思うから。
 
だから偽善を恥じる事なんてない、それが今の自分にとって興味のある選択肢なら行ってやってみる。それでいいと思います。